アラスカ

 
 アラスカ 2012.8.20~8.26
フェアバンクスオーロラ鑑賞、デナリ国立公園ツンドラウィルダネスツアー、アラスカ鉄道、プリンスウィリアム湾26氷河クルーズ。
オーロラが出現、肉眼で楽しむ。デナリでは大自然に満喫。クルーズでは1万5千年前の氷でウイスキーオンザロックおいし~い。 
 
 
 
 デナリ国立公園 カリブー
イメージ 2
 
 
 マッキンリー山
イメージ 1
 
デナリ国立公園 
イメージ 4
 
 
 
 
 
 アラスカ鉄道
 
イメージ 3
 
 
イメージ 5
 
アンカレッジ駅 
イメージ 10
 
氷河
イメージ 6
 
 
ラッコ
イメージ 7
 
 
 
イメージ 8
 
 
イメージ 9
 

支えられ生きる

毎日新聞  2024、2 、6  掲載

支えられ生きる

3歳の時ポリオ(小児マヒ)にかかった。不自由になった脚で歩き、80年になる。医師から「歩けるのは50歳くらいまで」と診断を受けていた。

30年もおまけがついたが、艱難辛苦の人生だった。

「どんなことがあってもくじけたりしたらあかん」

母の一言に支えられ、ここまできた。

その脚も数年前から衰えを感じ、そこに病気が重なるように増えてきた。

最近まで行けていた駅や店などにいくのが難しくなり、日常動作にも支障が出てきた。どうすることもできず、歯がゆい思いが募る。

近くに住む娘が「介護保険の手続きをしよう」と言ってきた。 

介護認定が下りてから、静かだった一人暮らしの部屋に急に医療・介護関係者の訪問が増え、おしゃべり回数も多くなった。

私の障害の変化や医療・介護関係者の仕事ぶりを見て思うところがあったのか

娘は社会福祉士の国家資格に挑むことにしたらしい。

合格を願っているが、本人次第だ。

娘と暮らす、美容師の孫娘からラインで「じいちゃん散髪するよー」

と連絡があり、介護認定を受けた電動車いすで娘の家に行くことにした。

二人の手を借り、家の中へ。丸狩りの散髪は10分で終了したが、

孫娘に散髪してもらう幸せを感じた。

家族や医療・介護従事者の皆さんに助けられ、

残りの人生を少しでも楽しく、心地よく過ごしたい。

 

          

1人暮らし

2021年3月7日 毎日新聞 掲

1人暮らし

毎朝5時には起床する。冬場でも湯を使わず水で洗顔する。

シャキッとしたところで身支度を整え、妻の写真に水を供え、線香をたく。

「よし今日も頑張るぞ」と声をかける。

ベランダに出て大きく深呼吸をしながら、一日の無事を祈る。そして、抱えている病気の進行を少しでも遅らせるために、自己流のストレッチを毎朝30分くらいやる。

「おーい、朝ご飯できたか」。叫びたくなるが、自分でやるしかない。1人暮らしだ。

炊事や洗濯、買い物、掃除などは習慣で動いているが、ときにはおっくうだと感じることもある。でも、人間は動かないとダメになることも承知している。

いつもなら天気のいい日は、ビタミンDをつくるため公園に行ってひなたぼっこをするが、今日は娘が住む家の庭で枕木の敷設工事をやることになり、見守りに行った。

私は前日に材料の段取りをしておいた。実働部隊は大学3年生と高校一年生の孫だ。作業方法を少し説明しただけなのに理解してくれ、孫たちは造園師のまねごとをするように土をならし、砂利をまき、水平器で位置を整え、枕木を設置していく。最後は化粧土で仕上げた。

娘は枕木の配置を考え、アクセントになる花々をサイドに植えた。

チームの共同作業で庭に10mのプロムナードが完成。

1人暮らしもたまに楽しいときはある。 

水泳と健康

               イメージ 1
 
水泳と健康

水泳というスポーツは他の陸上のスポーツと全く異なっているといってよい。
水の中で動くために動作そのものに水の抵抗をうけ肺に空気を吸い込むと比重が0.1以下
になり水に浮くことができる。
体に障害があっても自分の体重が負担にならなければ安心して運動することができる。
水の抵抗となる動きをさけ進む方向に力を加えれば進むことができる。

水泳は抵抗となる動きをなくす運動であり、たとえ満足に体を動かすことができなくてもその
健康な部位を有効に生かし努力し進歩させ、少しでもプラスになる方向を見つけ出すことで
ある。

水泳は   肺や心臓を強くする。

       血管に弾力を与える
       血液の流れをよくして血管内に沈着したコレステロール中性脂肪を取り去       る。

       細血管を新生させるなどが確かめられています。
       リハビリに活用されている。

水慣れ      (顔つけ、呼吸の動作、け伸び)

呼吸の調整   (呼吸は吸うことではなく大きく吐くことに注意)
浮き身      (水の中で体の力を抜き、自分が浮いたという感じをつかむ)

け伸び      (浮いたままの状態でいかに足を動かすか)

           力で泳ぐのではなく正しい浮き方の泳ぎになるように注意する。

クロール

姿勢        腰を少し沈める(水面から10cmくらい)

ストローク     推進力はほとんど腕のかきによって生み出される。
           動作  ①入水 (手が水に入る)  ②キャッチ(かき始め)  ③ かき
                ④フィニッシュ(かき終わり) ⑤リカバー(空中で前へもどすところ)

キック       (姿勢保持と推進力を得る役割を果たす)
          「脚全体をムチのようにしならせて打つ」といわれるように膝から打ち始める。

ローリング
    クロールの動作の基本はローリング
           ローリングがなければ肘を高く上げてのリカバーは不可能である。
           ローリングしても有効なキックを考えなければならない。

ノ-マライゼ-ション

 
 
北欧でバンク.ミケルセン(デンマーク)、ニイルエ(スエーデン)らによって
1950年代後半にノーマライゼーション思想として位置づけられた。
日本では1981年国際障害者年テーマ「完全参加と平等」の基本理念としてノーマライゼーションの考え方が紹介された。
障害の有無にかかわらず、人は誰もが生まれながらにして、その尊厳と権利において平等であり、互いの理解と良心において、それを保障し共に生きていく。

障害があっても、普通の人と同じ生活が出来るように生活環境、社会環境を調整していくこと。
 
福祉領域のキーワード
我々が住む社会には健康な(健常者)人達だけが住んでいるのではありません。
高齢者や障害のある人びとが一定の割合で存在しています。
これが普通の社会であるのだから、あらゆる社会政策や社会的諸サービスは、これを前提として考えるべきであり、高齢者や障害のある人びとを特別な存在として考えてはならないし、その人格が尊ばれ、一般の社会のなかに普通に参加し、平等に生きる対等の生活原理といえましょう。
また福祉領域のキーワードとして基本的人権思想を表しています。
人権が尊重された社会を築く為にキーワードの事を大事に思うと共に、われわれ一人ひとりがそれに向かっての意識改革も大切ではないでしょうか。
法律にみる基本的人権日本国憲法の差別禁止条項第三章第14条「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」
 
 
 

ふくしコラム

 
 
       「いたわり」 「他人の痛みを感じること」 「やさしさ」 は思いやりの心から 
 
 人が働こうとするのは、健康に生きようとする人間のあかしです   

           
     単に生計の維持や,その社会的,経済的有用性だけの尺度で,その働きを評価
     すべきではありません。
     自己実現や社会参加のための重度の障害者が働くことを望んでいる場合,無理に
     働けない状態にすることは,強制労働と同じように罪悪ではないでしょうか
        
                                国際障害者年推進プレ国民会議
         

この世の中に,不能力者はいない,あるのは能力者だけだ 

     わたしは平凡な人間としての道は選びはしない。
     非凡な人間として”保障より機会”を求める。
     「自分で考え,行動し自分で創造したものに喜びを感じ,勇気をもって世間に向かう」
    
                                  H.ビスカーディ氏

 

   
 わたしたち障害者とコミュニケーションする方法は簡単です。
       ニコッと笑顔を見せてくださればいい。
       笑顔は万国共通の言葉だから

        上場企業経営者(ポリオで片足不自由)
 福祉は、障害があっても 「生まれてきてよかった」と思えるような世の中をつくるための言葉だ                                   
岐阜県大垣市の松葉づえの市議  梶本英夫さんの遺稿集より  
3歳の時小児マヒに罹り右足の自由を失い,その後63歳で亡くなるまで市議として31年間 、障害者問題に没頭されました。  
           
          
 ”腹をくくって”やればできる ”(重症心身障害者施設代表者の発言Hさん)    
私たちはつい「 重症心身障害児・者」とひとくくりにして呼び、彼らを分かったつもりでいることが多い。そこに落とし穴がある。    
本当は何も理解できていないのに知ったつもりでいる。   
Hさんは社会の中で潜む そうした短絡的な人間観や価値観に対して声高に批判するのはでなく、優しく丁寧に、時間をかけて、人の感情を理解の方向へ紡いでいこうと努力されている。   
 「重い障害を持っている人たちの、地域で 暮らていきたいという願いを実現させるには、それに携わる人たちみんなが、どんなに大変であっても ”腹をくくって”本気で取り組むしかありません」    
                          某新聞コラム   映画監督  N氏      
     
                        
身内の方に精神障害のおかれている難しい立場から       
私たちは、みんな社会全体で、夢や幸福、生きがいの概念をつくっているのに、その時代の都合で決められた尺度による一部の機能の違いを理由に、遠ざけられるのは不合理だと感じます。   
    
 人に優しいとは?   
表面的なサービスという対症療法的な解決ではなく、常に自分たち以外の人のことを視野に入れながら考 えるべきだ 。              
                              中途失明された  T氏   
 
                                      
ゴールまでは  
遠くで私をみていて下さい/なんにもしないでいいんです  
遠くで私をみていて下さい/ ゴールまで/あるくまでは/たとえこけても  
そっとしていて/ゴールにつくまで/ゴールで拍手してまっててね  
遠くで私をみていて下さい/なんにも手伝っていらないの  
それが私の願いなのです/ゴールまで/あるくまでは/たとえこけても   
そっとしていて/ゴールにつくまで/ゴールで抱きしめてください    
        
たとえこけても/そっとしていて/ゴールにつくまで/ゴールで拍手してください  
                              作者      山田 優子さん  
   
 18歳の愛  
眠れない夜が、続きます/あなたを愛する心、いっぱいなのに 
幼なすぎますか/わたしには、精いっぱい愛です/それは愛といえないのかしら 
ただ、あこがれと呼ぶのでしょうか/18の愛じゃ、いけませんか
からだの不自由なものの愛は、いけませんか/ぜいたくですか   
私には、精いっぱいの愛です。  
   
                               作者     藤井佐知子さん
  
 
 

バリアフリー

 
人が体のあらゆる部位を使って可能な限り、自分の意志で目的を達することができるなら この安心と喜びは無上のもの、それは人の動作の原点だから
 
 
 
バリアはいたる所にあります。段差一つ見ましても車椅子で段差なく移動出来れば何の障害もないし、また歩行障害者も段差なく移動が自由に行えるなら、その時、その人は障害のある状態ではないのではないか、また障害者が車の運転している時も、同様に考えられます。 
ハードをクリアすることで、その時、その場が、多くなればなるほど、障害者にとっては、安心感と快適感を、暮らしに取り込んでいけるのではないでしょうか。 (車椅子の方だけだはなく、すべての障害者、高齢者という観点で)   一方、知らない、分からない、ことから生まれる偏見という心のバリア、お互いにもっと、ふれあいの機会と場(慣れ親しむ環境)があれば、人にたいする思いやりの心、 気遣う心、が生まれ、気心もわかり,通じ合えるのではないでしょうか。また誰もが障害を持つ可能性があり、誰もが高齢者になり、誰もが同じ人間であり、バリアフリーにされたスタートラインが同じなら、障害者も、がんばる心さえあれば自分の夢が、かなえるような住みよい社会になって欲しいし、 そのことが暮らしの風景に自然に溶け込んでいけるようになれば、と考えております。                                                                                     
  バリアはいたバリアはいたる所にありまする所にあります。
 
ハードをクリアすることで、その時、その場が、多くなればなるほど、障害者にとっては、安心感と快適感を、暮らしに取り込んでいけるのではないでしょうか。 (車椅子の方だけだはなく、すべての障害者、高齢者という観点で)                                          
                                      
一方、知らない、分からない、ことから生まれる偏見という心のバリア、お互いにもっと、ふれあいの機会と場(慣れ親しむ環境)があれば、人にたいする思いやりの心、 気遣う心、が生まれ、気心もわかり,通じ合えるのではないでしょうか。                                         
                                     
また誰もが障害を持つ可能性があり、誰もが高齢者になり、誰もが同じ人間であり、バリアフリーにされたスタートラインが同じなら、障害者も、がんばる心さえあれば自分の夢が、かなえるような住みよい社会になって欲しいし、 そのことが暮らしの風景に自然に溶け込んいけるようになれば、と考えております。                             
                                          
                                      
一方、知らない、分からない、ことから生まれる偏見という心のバリア、お互いにもっと、ふれあいの機会と場(慣れ親しむ環境)があれば、人にたいする思いやりの心、 気遣う心、が生まれ、気心もわかり,通じ合えるのではないでしょうか。                                         
                                     
また誰もが障害を持つ可能性があり、誰もが高齢者になり、誰もが同じ人間であり、バリアフリーにされたスタートラインが同じなら、障害者も、がんばる心さえあれば自分の夢が、かなえるような住みよい社会になって欲しいし、 そのことが暮らしの風景に自然に溶け込んいけるようになれば、と考えております。